資料1 『まなべ』と名のつく地名について
| 1. | 茨城県土浦市真鍋町をご存じですか,その昔,豊臣秀吉が行った太閤検地(1582〜1592)によ
り常陸國新治郡(ひたちのくににいはりぐん)南野荘に真鍋村が成立しております。 明治22年4月1日付で近隣の木田余・殿里の2ケ村を併合して真鍋町が誕生,昭和15年11月3 日,土浦町と合併して土浦市真鍋町となっております。昭和50年住居表示実施により,西真鍋町, 東真鍋町,真鍋新町,真鍋町1〜6丁目,真鍋町各々が成立しております。土浦市真鍋町界隈は 小山1ツない平地で城址はありませんが,土浦城絵図には真鍋口と記された御門がありますが, 真鍋村との関係は不明。また,真鍋と名のつく町に真鍋姓を名のる家はありません。古墳時代の 『真鍋遺跡』,県指定の天然記念物『真鍋のサクラ』等がありますが,真鍋の根源は不明。 |
| 2. | 兵庫県にもありますが,まなべ姓とは関係なさそうです,スキー場で有名な神鍋山のふもとの
城崎郡日高町栗栖野字間鍋越(まなべこし/かんなべこしとも呼ばれていた模様)です。 |
| 3. | 岡山県笠岡市真鍋島は『まなべ姓』のルーツと言われております,本年4月9日付設立総会時
の禮三事務局長の講演,及び総会資料−1などで報告済につき省略します。 |
| 4. | 広島市中区紙屋町の広島城址南に通称『マナベ通り』,正式には相生通り,又は連隊通りとも
呼ばれている通りがあります。その昔,『マナベ通り』は真鍋通り,又は間鍋通りとも書かれて
いたようです。根源は同地に居住していた真鍋五郎右衛門貞成の屋敷跡地に建てられた真鍋御門
がルーツのようです,明治以降,城内に大本営が設置され,真鍋御門跡に歩兵第11連隊が置か
れたところであって連隊通りとも, 『マナベ通り』とも呼ばれているようです。 本マナベ通りにつきましては平成11年8月1日付第18号全国まなべ会々報をご参考に資料―2 として添付しております。 |
| 5. | 山口県防府市真鍋開作(5万分の1地図,山口県台道) 同県佐波川下流西岸の開拓地,JR山陽本線台道駅の南東1kmの地。根源,その他不明。 |
| 6. | 山口県長門市真鍋荘 未確認,調査中。 |
| 7. | 大分県宇佐市赤尾字真辺,溜池で真辺池もあり(5万分の1地図,大分県中津) 戦国の世,中津藩の武将赤尾左衛門太夫賢種,その配下に眞邊新五左衛門成秀がいた,お互いに 姻戚関係にあった両氏の後裔がそれぞれ庄屋に任じられたのがルーツと言われております。 詳細は本年4月9日付け設立総会時プログラムの資料−3によります。 |
| 出 典: | 『角川日本地名大辞典』昭和55年11月18日,滑p川書店発行 |
| 『新日本地名索引』1993年10月28日,潟Aボック社出版局・丸善株ュ行 | |
| 『全国なべ会』会報第6,18号,平成5年8月1日・11年8月1日発行 | |
| 『まなべ氏のルーツ』第5集,真鍋武著,平成6年5月18日発行 | |
| 平成12年2月6日付『大分まなべ会設立総会』記念講演資料 | |
| 『ひょうごの地名を歩く』1989年4月10日,神戸新聞総合出版センター発行 | |
| その他 |