真鍋島を訪ねて

 

まだ残暑を感じる九月二十八日の日曜日、多度津港から久しぶりに真鍋島参拝へ向かった。

一昨年の平成二十五年十月に、時代小説「村上海賊の娘」が新潮社から発刊されてからは、「真鍋島」を訪れる観光客もい ささか増えているのではなかろうかと予測していた。かような状況下での参拝計画は時宣にあったもので期待するものが大きかった。

多度津港には九時集合し、九時三十分の定刻に出港した。今回の航海コースは、島の西側を選ぶことになった。通常は島の 東側を通過して何度も真鍋島へ行っていたが、今回のコースで初めて真鍋島の西斜面を眺めることが出来た。波間から屹立している岩礁と島斜 面の岩肌とのコントラストに風情を感じた。島の西側に位置する沢津の浜にはこのコースが最短である。

やがて目的の浜に「幸進丸」は到着した。ボートの切っ先は砂の中に切り込み、下船は脚立の助けを借りることになる。皆な恐る 恐る砂浜に着地した。その分、些か海水の洗礼を受けることになった。

ここからは、少し急な坂道を登ることになるが、ところどころ険しい場所はステンの手すりが設置されていて、気楽に上る ことが出来るようになっている。阿波の五郎先生ご夫妻には唯ただ感謝である。

千人碑公園では、まず、まる堂さんに供花して代表者が礼拝した。その後、中央にある「まなべ之碑」をバックにして参加 者の集合記念写真を撮った。ここの記念碑を取り巻いて千人碑に刻銘がされているが、三回にわたる募集により、現在では一千八十二名の名前 が刻まれている。先人たちの熱意にただ敬服するばかりである。

しばらくは木立ちから流れ込む海風に身を任しながら、石標の見物をしたり、お互い談笑を重ねていた。ここでは計画予定 より少し早くなったが、切りあげて下山することになった。

砂浜では、海上タクシーが迎いに来るまで時間が有ったので、雑談で時間を過ごした。やがてスピードを上げ、岬をまわっ てくる小船が見えた。幸進丸であった。

弐艘の船は、わたし達が本日昼食を摂る南海岸にある「三虎」の桟橋へ手際よく運んでくれた。部屋には休憩の余分スペー スも無いため、外バルコニーから南側海面をそこはかとなしに眺めていた。陽の光に反応して、水面はダイヤが放つ光のように変幻していた。 時の経過を待って部屋に入って行った。

史蹟巡りの参加者四十人ほどの賄いを、家族の身うち三人で集中的に用意するのは大変である。待っていた分、新鮮な鯛の 刺身の活き造りが、既にテーブルごとに配膳されていた。

会長さんの心づくしの挨拶があり、参加者全員今日の幸せを先祖に感謝して、乾杯のあと箸をとることになった。造りは新 鮮な鯛の姿身であり、赤だしは、鯛の粗炊きになっていた。ご飯の方も大釡で炊いたためか、熱の通りも良く大変美味かった。一人二千円の予 算にしては、ビールの飲み物付きであり、満足いただけたのではなかろうか。

食事と休憩団欒を終えてから、北に向かって今度は急俊ではあるが、短い山の峰を超えることになった。予想以上に足に負 担となったが、本村の真鍋住宅(登録有形文化財)へ向かった。ホルトの巨木がわたし達を迎えてくれた。禮三さんのご子息「芳男さん」から 説明が詳しくあった。その中で「庭にある二つの石は雌雄対称になっています。どちらが女性のシンボル石ですか、当ててください」。これは 困ったことだ。何度もお邪魔しているが、ホルトの大木に気を取られていたため石の事など眼中になかったのである。やはり熟知している人か らの説明は興味深いものであった。この石は島の近くの海で発見されてここに運び入れたとのことである。芳男さんの祖母がその昔、経緯を孫 たちにも説明していたのだ。

真鍋家を辞去して、近くの高台にあるお寺に向かって階段を上って行った。そこには円福寺があった。真鍋家と関わりの深 いお寺である。ここには「新しい文化財」が保有されているが、その理由は、この島ではこれまで映画の撮影などがあり、俳優など有名人が来 て書やスケッチなどの記念痕跡を残していたのである。来島者には夏目雅子、渡辺謙、梅津一栄、太滝秀治、樫山文江、徳永英明など多彩であ る。また、この島には京極家が保有していた横臥涅槃図があり、“開運なんでも鑑定団”に出場したことのある宝物でもある。

現在の住職さんは、三豊市詫間町荘内のお寺と兼任の前田智勉師であるが、ここでの勤行は最近とのことでした。本殿の一 部をお借りして少時間講話することを予定していた。事前に準備していたレジメを各人に配布して概要を説明させて頂いた。

ここを出立して、以前来た時は公会堂であったが、今では休憩所になっている「五里五里」で三々五々一休みすることにし た。この場所が「真鍋島」の情報発信基地でもある。ここの西側の部屋には映画撮影時の写真など、昔の情景を想い出させてくれる証拠品の 数々が気負いなく展示されていた。貴重な品々であるが、今後の管理が心配である。

最後の行程は、岩坪地区の五輪塔群参拝である。少し、また上り坂を上がっていかねばならない。打ち合わせ時間通りに円 福寺の前田僧師が来られて読経をされるなか、わたし達はそれぞれ線香を供えお墓に手向けて代わる代わる参拝した。これでご先祖様との連綿 とした繋がりを果たせたと思うと、万感胸に迫るものがあった。

万歩計をのぞいてみると、凡そ一万六千歩になっていた。そこそこ、船を利用して移動したに関わらずに、である。しかし 坂道を歩んだことを考えると、それ以上のご負担を皆様にお掛けしてしまったと反省しきりである。しかしこれも体力増強のためであるからご 先祖様も温かく見守って居られると思うと、皆様からお許しを頂けると合点する次第である。

まだ残暑の残る厳しい一日であったが、多くの参加者を得て、しかも事故もなく楽しい一日を過ごさせて頂いた。まことに 有難い経験になった。参加された皆さんにお礼を申し上げたい。今後も、また楽しい計画を設計し再会実現できることを祈念して紀行の報告と 致します。

國六 記