真鍋島の古伝にいわく、我が真鍋氏の遠祖は肇国の神武東征軍に加わるも、高島宮より出船の砌り急疾、罹患のため下船、残置の止むなきに至り、爾後、真鍋島に駐まりて周辺諸島の開拓に務めた。
降りて神后皇后三韓征伐の途次、備中二子山に於いて双子を出産、その次子を残してまなべ氏を継しめた。
真鍋島は瀬戸内舟運の要衝にして、尚、四辺の海域は魚貝の宝庫なれば、これ等を特産として大和朝廷に貢納す。 別して祭事必需の熨斗烏賊、熨斗鮑等は珍重にして、朝廷これを賞で「真魚部」の姓を賜う、爾来、真魚部氏居住のこの島も「真魚部の島」と呼ばれることとなった。
奈良朝に至り、全国の地名等は、佳字、二文字制と定める事となり、「真魚部の島」は「真鍋島」となり、何時しか「真魚部氏」も「真鍋氏」へと転化した。
星移り年変り、変遷幾そ度び、古代の姓氏を今に伝うること洵に幸いのことぞかし。
全国まなべ会